■雨音の消失 嫌になるほど星の綺麗な夜だった。今日は酒場でも賭場でもツイてなかった。何時もより2時間ほど早く切り上げて家に帰る。まだ夜中だ。酒が足りないのでビールでも飲もうと台所を覗くと、シンクの前で蹲って倒れている同居人がいた。 「……おい八戒? どうした!?」 抱き起こしても反応がない。名を呼んで揺さぶっても反応がない。息はしている。 手がぬるつくのでよく見たら血だった。八戒の両耳から細く血が流れている。近くには血のついたアイスピックが転がっていた。 こいつまさか、自分で鼓膜を? 「クソッ……!」 八戒を抱き上げるとジープを飛ばして病院へ向かった。 夜も明けきらないうちから起こされて八戒を診た医者はため息まじりに言った。 「両耳の鼓膜が破れてるね」 「治るのか?」 「何週間かで治るよ。ああ、風呂の時に耳に水を入れないように気をつけて」 それを聞いてひと安心した。 診察台に仰向けになった八戒は電灯が眩しいのか、目を細めている。 しかしねえ、と前置いて医者は声をひそめた。 「自分でやったとなると、精神面の方が心配だね」 家に八戒を連れて帰ると、ベッドへ寝かせた。椅子を引っ張ってきてベッドの横へ座る。煙草に火を点けた。 「で、なんであんなことやったんだ」 煙を吐き出すと、八戒が首を傾げる。 そうか、鼓膜が破れてるから聞こえないのか。 目についた新聞のチラシの裏に、その辺にあったペンで『なんであんなことやった?』と殴り書いたものを見せる。 それを見て八戒は俯いて耳を塞いだ。 「雨の音が、追いかけてくるからです」 か細く震える声がそう言った。 俺は『雨なんか降ってない』と書き、それを見せる。八戒は頑なに耳を塞いで首を横に振る。 「僕には聞こえるんです。幻聴だって分かってます。でも……」 それ以上会話が続かないように思えたので、俺は『明日からしばらく家事しなくていい』と書いて見せて椅子から立ち上がり、八戒の部屋を出た。それからアイスピックを始め、家中の細くてとがったものを全て始末した。 幸い、それから何事もなく八戒の聴力は回復した。 夜中、宿のベッドの上で目が覚める。隣では八戒が目を閉じて、静かに眠っているように見えた。 こいつは清一色事件の後、驚くほど穏やかに眠るようになった。 今夜は静かで、虫の音が微かに聞こえる。 俺は小さな声で聞いた。 「……なあ、お前は今も雨の音が聞こえるか?」 起きていたのか、八戒はうっすら目を開けると微笑んだ。 「いいえ」 |